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「引退後のことは考えないようにしていた」
元日本代表 渡邉千真が明かす本音と、
恩師が授けた「次の人生」の哲学

「引退後のことは考えないようにしていた」
元日本代表 渡邉千真が明かす本音と、
恩師が授けた「次の人生」の哲学

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Jリーグ新人王、そして日本代表。輝かしいキャリアを築き、2025年9月にスパイクを脱いだばかりの渡邉千真選手。多くのファンや仲間たちに愛されたストライカーは、現役時代、「引退後のこと」について、ある葛藤を抱えていたという。
今を全力で生きるアスリートが直面する、セカンドキャリアへのリアルな本音。そして、そのサッカー人生の土台を築き、今なお彼を支え続ける恩師・小嶺監督の“2つの金言”とは。
キャリアの岐路に立つすべてのアスリートへ。渡邉選手の言葉が、次の一歩を踏み出すヒントになる。

プロフィール
渡邉 千真(わたなべ かずま)

1986年8月10日生まれ、長崎県出身。名門・国見高校から早稲田大学へ進学。大学時代には関東大学サッカーリーグで2年連続得点王に輝く。
2009年、横浜F・マリノスに加入し、プロ1年目にして13ゴールを挙げJリーグ新人王を獲得。2010年には日本代表にも選出された。
その後、FC東京、ヴィッセル神戸、ガンバ大阪、横浜FC、松本山雅FCと渡り歩き、Jリーグ通算400試合以上に出場、通算100ゴール以上を記録。高い得点能力と献身的なプレーで、長きにわたりJリーグの第一線で活躍した。

渡邉 千真選手

プロサッカー選手・渡邉千真の「最後の75分間」

最終戦、見事勝利で飾りましたが、あの時はどのようなお気持ちでしたか?

自分にとっては本当にプロサッカー選手として最後の試合だったので、「悔いなく終わりたい」という気持ちと、順位は確定していましたけど、やっぱり勝負の世界なので「勝って終わりたい」というのはチーム全員で話していました。

みんなが「最後、カズさんのために勝って終わろう、送り出そう」と言ってくれて。みんなが僕のために頑張ってくれたし…いや、僕のためだけじゃなく、自分のため、チームのために戦ってくれました。
監督が最後にキャプテンマークを渡してくれて、75分くらい出場させてもらったんです。今年はそんなに長く出たことがなかったので、正直、めちゃくちゃきつかった(笑)。でも、終わってみればあっという間でした。
欲を言えばゴールして終わりたかったですけど、チームが勝ってリーグを締めくくれたのは、非常に良かったかなと思います。

仲間からかけられた言葉で、印象に残っていることはありますか?

いやあ…もう「お疲れ様」とか色々言ってもらえたと思うんですけど、自分がいっぱいいっぱいで、あんまり覚えてないくらいです(笑)。
それよりも、本当にいろんな方が見に来てくれたのが嬉しくて。僕がこれまで所属したクラブのサポーターの方たちも、大阪や神戸、松本といった遠いところからわざわざ駆けつけてくれたんです。
それを見た時に、「ああ、自分は本当にたくさんの人に支えられ、応援してもらえてきたんだな」と、しみじみ思いました。本当に素晴らしいサッカー人生でしたね。

キャリアの土台は「国見高校の3年間と、恩師の2つの金言」

輝かしいサッカー人生でしたが、ご自身のキャリアで「転機」となった瞬間はいつですか?

大学2年、3年の時に関東サッカーリーグで2年連続得点王になれたことですね。そこで評価されて、数多くのJクラブからオファーをいただけたんです。あの出来事が自分にとっては大きな転機になりました。

大学でそれだけの結果を残せた「土台」は、どこで培われたのでしょうか? やはり、国見高校時代ですか?

ああ、そうですね。高校時代は、僕のキャリアでは外せない3年間です。恩師である小嶺先生との出会いもそうですし、国見での3年間は、振り返ると「今までで一番きつかった3年間」でした。でも、そこで自分の「基礎」ができた
今の自分を作っているのは、間違いなくあの3年間です。あれがあったからこそ、ここまでやれたんだと思います。

小嶺監督の教えで、今も心に残っている「言葉」はありますか?

はい。すごく覚えている言葉が2つあります。
一つは「実るほど頭を垂れる稲穂かな」。勝てば勝つほど、偉くなればなるほど、ふんぞり返るんじゃなくて、謙虚にやりなさい、と。
もう一つは「自信と過信は紙一重」。これも近い意味ですけど、浮かれるなよ、謙虚であり続けろよ、ということですね。

国見時代は、インターハイで優勝しても「喜ぶな」という雰囲気でした。選手権で優勝することが大事なんだ、と。普通ならみんなでワーッと集まって喜ぶところを、うちらは普通に整列して写真を撮るだけ(笑)。
代表に選ばれて帰ってきた時なんか、めちゃくちゃ怒られましたから。「お前、太って帰ってきて!」って。だから代表に行っても「うわ、また帰ったら絶対言われる…」って、全然喜べなかったですね(笑)。
でも、それくらいプレーのことよりも「人としてのあり方」を叩き込まれました。挨拶をちゃんとしろとか、宿舎に行ったら靴やバッグをきれいに並べろとか。
サッカー選手の前に、人としてどうあるべきか。その教えが、今もずっと自分の中に響いています。

「引退後のことは考えないようにしていた」
— アスリートのリアルな葛藤

そもそも、セカンドキャリア、つまり引退後のことはいつ頃から意識されましたか?

いや、それが結構遅くて…。本格的に考え始めたのは、35歳頃ですね。ガンバ大阪を契約満了になって、次どうしようか、となった時です。年齢的にもそろそろ引退が近づいてきたかな、と思うようになって。
その時に、セカンドキャリア支援の仕事をされている方がいるのを知って、自分から「ぜひ会わせてください」と連絡しました。先方からは「千真から連絡が来るなんて」と驚かれましたけど(笑)。

35歳まで、ですか。それ以前は、あまり考えなかったのでしょうか?

うーん…「考えないようにしていた」というのが、正直なところかもしれません。
ガンバにいた時までは「まだ選手として全然やれる」という気持ちでしたし、先のことを考えるより、「今、自分が選手として活躍するために、輝くためにどうするか」という意識の方が強かったです。

なぜ「考えないようにしていた」のでしょう?

本気でやっている人ほど、「他のことを考えたら中途半端になって、選手としてもダメになってしまうんじゃないか」という怖さがあるんだと思います。
それと、どうしても「周りの目」が気になってしまう。もし現役中に副業やビジネスのようなことを始めたら、試合で結果が出なくなった時に、サポーターからSNSなどで「あんなことやってるからだ」「中途半端なんじゃないか」って言われるんじゃないか、と。僕はそういう声を結構気にしちゃうタイプだったので。

海外の選手は違う、というお話もされていましたね。

そうなんです。神戸でイニエスタやポドルスキと一緒にプレーして驚いたんですけど、彼らは普通にビジネスをやってるんですよ。イニエスタはワインを作ったり、ポドルスキもアパレルやケバブ屋、アイスクリーム屋を自分でやっていました。
それを見て、あれも一つのあり方だし、選手の時にお金があるうちにそういうことをやるのは、僕は賢いなと思うんです。彼らは多分、周りの声もそこまで気にしないんでしょうね。
僕らは「サッカーしかやってきてない」から、そういうビジネスのノウハウを知らないし、やりたくてもできない、というのもあるかもしれないです。

苦境の乗り越え方「矢印を、自分に向ける」

現役時代、試合に出られない時やゴールが取れない時など、苦しい時期もあったかと思います。どう乗り越えてこられましたか?

はい、もちろんありました。長くサッカーをやってきて、良い時ばかりじゃありません。試合に出れない時、本当にゴールが取れなくなった時…。そういう時って、どうしても自分じゃなくて周りのせい(監督の采配や、パスが来ないことなど)にしたくなるんです。

そういう時、どうやって気持ちを切り替えたのですか?

そういう時こそ、「自分に矢印を向ける」ということです。
結局は自分と向き合って、「今、自分に何が足りないのか」を考えて、またトレーニングに励むしかない。その繰り返しでした。
やっぱり、良い時は誰でも良いんです。うまくいかない時、状況が悪い時にどれだけ頑張れるか、謙虚にやり続けられるか。そういう姿って、周りから一番見られていると思うので。

渡邉選手は1年目で13ゴールを決め、新人王も獲得されました。
その「過去の栄光」がプレッシャーになることはありませんでしたか?

めちゃくちゃありましたね。1年目の結果が自分の基準になってしまったので、ゴールが取れなくなると周りの目も厳しくなるし、自分でも「もっと取らなきゃ」と焦ったり、プレッシャーを感じたりする時はありました。

落ち込んで、自暴自棄になったりは…?

気分転換に、お酒を飲みに行ったり、友達と買い物に行って発散したりすることはありましたよ。その一瞬はサッカーのことも忘れられて楽しいんです。
でも、結局は「サッカーでしか、取り戻せない」
どんなに他のことで発散しても、サッカーに戻ってきたら「ああ、頑張らなきゃ」ってなる。そのモヤモヤやストレスは、サッカーで結果を出すことでしか解消できない、というのは自分の中の経験として分かっていました。

一人で抱え込むのではなく、誰かに相談も?

それは大事にしていました。僕は自分の悩みをいろんな人に話せるタイプじゃないんですけど、本当に信頼できる何人かの友人とご飯に行って、話を聞いてもらう。
ずっと自分の中に閉じ込めておくと、余計に悩んでネガティブになってしまうので。ただ「うんうん」と話を聞いてくれる。それだけで僕は十分でしたね。

引退した今、伝えたいこと
「考えることは、ダメじゃない」

改めて、引退した「今」だからこそ、現役で悩んでいるアスリートに伝えたいことはありますか?

引退って、必ず来るじゃないですか。アスリートである時間より、その後の人生の方がずっと長い。
そう考えると、引退後をどうするかという「考え」や「アクション」は、確かに早ければ早いほどいいんじゃないかなって、引退した今だからこそ思います。

現役中は「今に集中しなきゃ」という葛藤が強かったんですよね?

もちろんです。でも、振り返ってみると、現役選手だって時間はあったはずなんです。例えば、練習が午前中で終わったら、午後とか。そういう時間で、何か勉強するとか、もっとやれることがあったんじゃないかなって。……まあ、遅かったですけど(笑)。
だから、「引退後のことを考えるのはダメなことじゃないよ」って言いたいですね。
周りの目とか、色々気になっちゃうかもしれないけど、結局は「自分の人生」ですから。

最後に、今を全力で戦っているアスリートたちへメッセージをお願いします。

今、自分が好きなこと、夢中になっていることを、とことん貫いてほしいです。
それは「今」しかできないことだと思うから。
「もうやりきった」と思えるくらい、後悔がないくらい、全力でやり切って、楽しんでほしいなと思います。

次のステージへ。「人の人生に関わる」挑戦

今後、渡邉選手ご自身が挑戦していきたいキャリアはありますか?

そうですね、大好きなサッカーには携わっていきたいので、「指導者」の道は考えています。
ただ、自分が指導者に向いてるかどうかなんて、正直まだ分かりません。でも、こればっかりはもう「やっていくしかない」なって。考えてもしょうがないですから。

指導者の道に、どのような魅力を感じていますか?

僕自身が、国見時代の小嶺先生をはじめ、恩師や監督との出会いで人生にすごく影響を受けてきたんです。
指導者って、その選手の「人生に大きく関わる」仕事じゃないですか。
だから今度は自分が、選手にとっての「人生の転機」になるような言葉をかけたり、そういう出会いになれたらいいな、と。

指導者以外の道も、選択肢としてありますか?

純粋に、会社の社長とか、実業家も「かっこいいな」と思いますね。周りの社員を巻き込んで、みんなで会社を良くして、大きくして、みんながハッピーになる、みたいな。
自分ができないことをやっている人に、すごく魅力を感じるんです。

編集チームより

葛藤と経験は、必ず「武器」になる

「周りの目が気になって、引退後のことを考えないようにしていた」
渡邉選手が率直に語ってくれた言葉に、胸を打たれた現役アスリートの方も多いのではないでしょうか。
「今に集中しなければ、中途半端になる」「応援してくれる人を裏切れない」。 その一心で競技に打ち込むトップアスリートほど、キャリアについて考えることを後回しにしてしまう。これは、多くのアスリートが抱える共通の、そしてリアルな葛藤です。

しかし、渡邉選手は同時に「引退は必ず来る。その後の人生のほうが長い」「もっと早くアクションすればよかった」とも語っています。そして、苦しい時に「自分に矢印を向ける」ことで乗り越えてきた哲学は、まさにビジネスの世界で求められる力そのものです。

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