昔から感覚値的に、「この人とは阿吽の呼吸で仕事ができる」「この人とは、間やタイミングが合う」と感じる経験はないでしょうか?
数値で表せないし、うまく言語化もできないが、「間が合う」という感覚値は存在している。誰かと"間"が合う瞬間の正体を知り、ビジネスでも成果に繋げたい——そう考えるビジネスパーソンは多いはずです。
しかし"阿吽の呼吸"は、外から眺めるだけでは見えてきません。粘菌の研究から出発し、ロボット、人間の身体性へと一貫して"つなぐ力"を追い続けてきた研究者は、その鍵が"未来の共有"にあると語ります。
AIが進化する時代に、私たちが取り戻すべきものとは何なのか。"間"の共創コミュニケーションを研究する東京科学大学の三宅美博氏にお話を伺いました。
東京科学大学(旧・東京工業大学)名誉教授、情報理工学院 特任教授。東京大学で博士号を取得。生物物理学を出発点に、人と人、人と機械がタイミングを合わせる"間(ま)"の共創コミュニケーションを研究。単なる物理的な同調ではなく、お互いの主観的な時間が一体となる「間が合う」状態の解明と応用を専門とし、"分ける知能"の対極にある"つなぐ力"を一貫して探究してきた。総合理工学研究科 研究科長、情報理工学院 副学院長、データサイエンス・AI全学教育機構 機構長などを歴任。
主な開発:人とロボットがリズムを合わせる歩行支援システム『Walk-Mate(ウォークメイト)』。
著書:『場と共創』、『共創とは何か』など多数。
粘菌の研究が人間とは正反対の"つなぐ知能"を教えてくれた
──三宅先生の研究の歩みは、非常にユニークだと伺っています。なぜ「間」という、一見捉えどころのないテーマに行き着いたのでしょうか?
自己紹介というのは、私にとって本当に難しいんですよ(笑)。何かひとつの専門家というわけではなく、世の中の縦割りの中で生きてこなかったんです。今は"間"を研究していますが、もともと大学院の頃は生物物理学、なかでも「細胞の社会」を扱っていました。当時の研究対象が、"粘菌"というアメーバ状の生き物でした。
──粘菌、ですか。脳も神経もない生き物だと伺いました。
ええ。脳も神経も消化器官も筋肉もない。半分に切れば、その半分からまた全体ができてしまうのが粘菌なんです。
当時は「そんな下等生物を研究してどうするんだ」と、学会では相手にもされませんでした。でも私は、これこそ"人間の対極にある知能"だと考えたんですよ。人間は「分ける」こと、つまり分化を積み重ねて知能を獲得してきた種です。ところが粘菌は逆で、分化を最小限にして環境に適応してきました。"分ける知能"と"つなぐ力"——その対立軸が、ここにあるわけです。
── 分けない生き物が、どうやって一つの集団としてまとまるのでしょうか。
面白いのは、まさにその点です。粘菌は、脳も神経もないのに、分裂することなく一つの方向へ動くのですが、その鍵を握るのが"リズム"なんです。
"分けない世界における言語はリズム"だと、私はずっと考えてきました。当時は「リズムが情報を担う」なんて言っても、まるで相手にされない。情報は必ず物質として表現されるもの、というのが常識の時代でした。ですがそのリズムの「同調」こそがコミュニケーションの本質だったんですよ。
「リズム」と「同調」がロボットから人間の歩行まで線でつながる
── 生物物理学から、情報工学へと進まれたのですね。
そうなんです。薬学部の出身者が情報工学の教員になるなんて、前例はなかったかもしれません。粘菌から学んだやり方を、今度はロボット、いわば"フィジカルAI"に応用してみたわけです。
リズムを持たせ、相互作用のなかで同調すると一種の"場"が立ち上がり、脳がなくても各々の個が状況を読んで役割を決めていくんです。この数理モデルを実装したら、思いのほか大きな反響がありました。
── そこから、人間の研究へと向かわれた。
ええ。人間にとってのリズムとは何か——そう考えて、"歩行"に目を向けたんです。誰かと並んで歩くとき自然と歩調がそろいますよね、あの同調現象です。
調べてみると、歩行だけでなく、うなずきまでも同調していました。物事を分けて理解する知能とは別に、体そのものが"つなぐ力"を持っていることがわかりました。それがリズムと同調で、のちに「身体性」の研究と呼ばれるようになります。
── 研究対象が、粘菌からロボット、そして人間の身体へと移っていったのですね。
はい。ただ、外からカメラで見ている人の動きは客観的ですが、“本人の視点”ではないんですよ。スポーツ選手の動きを外から眺めるのと、本人が実際に体を動かすのとでは、まるで違いますよね。私たちは目や耳で外の世界を脳に映し取っていると思い込んでいますが、その思い込みは嘘なんです。
実際は「見たいものを見て、聞きたいものを聞いている」だけです。いわゆる「カクテルパーティー効果」だから知能の本質に迫るには、"世界を内側から見る"しかないのです。そうやって世界を捉え直した先に、ようやく"間"の研究へたどり着きました。バラバラに見える歩みが、実は一本の線でつながっているんですよ。
「阿吽の呼吸」の正体は予測した未来をお互いに共有することにある
──"阿吽の呼吸"や「間が合う」とき、具体的に何が起きているのでしょうか。
これが、外から見ても絶対に分からないんですよ。物理的なリズムの同調だけでは、説明がつきません。人間を内側から見たとき、"自分にとっての間は未来です"。ほんの少し先の未来を指しています。外から信号が届くより先に、予測的に未来を体験しているわけですね。「こうあってほしい」というその未来こそが、自分の"間"なんです。
── 自分が予測している未来、ということですか。
そうです。二人でやるときは、お互いの未来を重ね合わせる。だから"阿吽の呼吸"とは、私に言わせれば"未来の共創"であり、未来の共有なんですよ。物理学の時間は時間軸の一点で「今っていうのはこの一つの点でしかない」。
「その今というものは厚みがない」わけです。でも、内側から捉える"間"の時間は"今の中に、未来と過去を創り出している"。だから"今"に厚みが生まれる——私はこれを「厚みのある時間」と呼んでいます。大事なのは、会社組織で言うところの上司や代表取締が決めた、一方的に上から下に降りてくる五カ年計画のような未来ではない、という点です。"未来は、外部から言われたからではなくて、一人一人の中に未来がうまれる"。それが共有されてはじめて、人を動かす力になるんです。
── 外から与えられた未来では、人は動かないと。
動かないんですよ。今の企業の多くは、外から与えた未来で従業員をコントロールしようとしています。でも、それが日本人の労働意欲にネガティブな影響を与えているのかもしれません。内側から生まれる未来を共有するために、何より欠かせないもの——それが"待つ"ことなんです。
── 「待つ」こと、ですか。
そうです。「もう今の時代ぐらい待てない時代はない」と思いますよ。なにせ"タイパ"に価値が生まれる時代の価値観があります。それでも、"待つことが重要"なんです。待つとは、その人が育つのを待つこと。育つ過程では、ミスも失敗も避けられません。それを引き受けて待てるかどうかで、組織は大きく変わってくるんですよ。
縁側のような"厚みのある境界"がAI時代の信頼と場を生む
── 時間に厚みがあるように、人と人との境界にも厚みが必要だと。
その通りです。自分と相手を隔てる境界にも、厚みを持たせるべきなんですよ。建築でいえば、まさに"縁側"。家の端で、外の人が腰かけ、中の人と将棋を指したりする。壁で断ち切られず、ちゃんと「幅」があるでしょう。この幅があるからこそ、自分と相手、人間と社会、人間と自然が相互に乗り入れられる。その領域の中に、"間"や信頼が育つんです。
── 今の建築は、そうではないと。
今の高層建築を見てください。道路と自分の土地に境界線を引いた途端、厚みのない壁でビルが建つ。実に合理的に、きっちり分けてしまう。でも昔の日本家屋には、縁側や軒下のように、出会いがあって"間"が合う"場"があったんですよ。私たちは、それをすっかり忘れてしまった。これが"分ける"ことの限界なんです。
── AIの時代において、この"厚みのある境界"はどんな意味を持つのでしょうか。
AIのおかげで、文章はみんな上手くなりました。でもね、その人らしさが消えているように感じます。
だから私は、学生が提出してきた論文やレポートなどで上手すぎる文章には低い点をつけるようにしているんです。
AIにできる仕事は、もう仕事にならなくなります。だからこそ、ビジネスの本質はむしろ人間に近づいていきます。"AIそのものが、何が人間にとって重要なのかを気づかせてくれる道具"になっているんです。
人と人との"間"や共感を生む「生きている時間」から、社会システムをもう一度捉え直すことが、"ポストAI社会設計の原点"になるはずですよ。
「ギブイズテイク」への転換が略奪型経済からの脱却の鍵
── "間"が成立する関係には、何が必要なのでしょうか。
ギブアンドテイクの発想では、コスパの枠を超えられないんですよ。社会を本当に変えたいなら、"ギブイズテイク"まで踏み込まないといけない。
── ギブイズテイク、ですか。
ええ。「与えたらいずれ返ってくる」というギブアンドテイクの取引の話ではありません。"ギブイズテイクは、「与えるということが、もらえるということ」でもあります。
例えば、誰かを助けること自体が、もう自分の心の充実になっています。むしろ、大きなエネルギーを他者からいただいているわけです。そういう価値観に立つと、「そこにはやはり"間"とか"場"が生まれる」んですよ。生物学的に見ても、これは理にかなった考え方だと思います。
── 自分の中に生まれた未来を、相手に差し上げる感覚に近いでしょうか。
まさに、そうなんです。"自分の中で生まれてくる未来であり世界を、人に差し上げる"。すると、そこで"間"が共有され、"場"になります。"未来の共創"ができれば、相手が次にどう動くかも見えきます── つまりこれが"信頼"なんですよ。一緒に世界を作っているということ、そして信頼こそ、これからの時代の財産です。
── 今の経済は、その逆を向いている気もします。
今の経済は、略奪型経済に近いんですよね。環境を壊してでも自国の産業は守る——あれなど、略奪型の最たるものでしょう。正直に言えば、「略奪型の思考でしかものを考えられない人たち」が中心にいて、政治や経済を動かしているのは、危ういと思っているんです。"取る"という論理は、何かが際限なく増大し広がっていく行為です。
一方、私たちがやろうとしているのは"安定飛行"です。これは変化しないということではありません。変化しないと環境に適応できず墜落しかありませんから。むしろ共創的に変化し続けること、つまり未来を共創し続けることです。「いろんなものを安定に維持するというのは、すごく高度なこと」なんですよ。成長率が基盤となる"経済的指標では測りにくい世界"——数値化できない感性や信頼が求められる、その過渡期に来ているんだと思います。
理論を社会に戻す実装が高齢者を再び街へとつなげている
── 先生の研究は、実際の社会の中でどう形になっているのでしょうか。
たとえば東京科学大学に新設した『データサイエンス・AI全学教育機構』も、同じ設計論で作ったものなんですよ。学部ごとの縦割り教育に、横串を刺す全学組織なのですが、私は学部できれいに区切られた考え方に違和感を感じている人間でもあります。
それに私はね、「データサイエンスAIは金儲けの道具じゃない。あれは"言語"なんだ。境界を越えていくための言語なんだ」と定義しているんです。異なる文化を持つ学部同士をつなぐ、共通の言語── 先ほどお話しした小さな"縁側"と、同じ発想なんですよ。
── 粘菌から始まったリズムの研究も、形になっていると伺いました。
ええ、『Walk-Mate(ウォークメイト)』という人の歩行リズムを相互に同調させ、“間”を合わせて歩くことができるシステムです。粘菌で見ていたリズムの話を、人とロボットが"間"を合わせて歩く仕組みに落とし込んだものですね。
今は『ロボット×街歩きによる新しいバリアフリー観光』として、東京都の支援を受けた実証を進めています。先日の神楽坂のツアーでは、参加者から「歩きやすい」「楽に歩ける」という声をいただきました。高尾山のコースでも確認済みです。
"身体を拡張するリズム"で、社会と高齢者が相互に乗り入れる"縁側"を作る── 理論で終わらせず、現代社会にどう実装して問題を解くかという実践的な領域まで進めないと、私はどうにも満足できないんですよ。
待つ力を取り戻すことがポストAI社会設計の原点になる
── 最後に、今の生き方に悩むビジネスパーソンへ、メッセージをお願いします。
人間というのは、行き着くところまで行かないと納得できない生き物なんですよ。だからAIの活用も、行き着くところまで追求してAI活用によって生まれる様々な問題を身を持って体験すれば良いと思います。
そうすれば、必ず人間本来の原点に戻ってきます。そのとき本当に要るのは、"分ける知能"ではなく、"つなぐ力"です。
私が昔からよく言うのは——そもそも"わかる"は"分ける"から来ている、ということなんです。だからこそ、「"分かることによって分からなくなる"ということを分かることが、分かることであって、分かるということによって初めて、分からなくなるものがあるんだよ」。
つまり、切り分けて"分かった"気になった瞬間に、つながりや全体のほうは見えなくなる。その"見えなくなるものがある"と気づくことこそ、本当の意味で分かるということなんです。
だから、急がず、"待つ"こと。内側から生まれる未来を、人と分かち合っていくこと。その積み重ねこそが、"ポストAI社会設計の原点"になるはずです。
取材の終盤、三宅氏が語ってくれたのが、縄文時代の死生観でした。竪穴住居では、亡くなった子どもを「玄関のすぐ下」、つまり家のすぐそばに埋めたという。さらに、甕を棺として用いその開口部を下にして埋葬するが、甕の底面、つまり地面に近い側に、「五百円玉ぐらいの穴」がわざと開けられていた——"甕の穴"。「死ぬということを完全に向こう側に追いやらない」ため、とのことです。
死を遠い墓地へ隔てる現代とは対照的に、生と死がたえず相互に乗り入れている。"縁側"のような境界の曖昧さが、死生観にまで貫かれていたのです。「"間"を共有し、未来を共有するということは、自分が死んでも、その時間は続くということなんですよ」——その言葉が、強く残っています。
"分ける"ことで効率を極めてきた私たちは今、AIの登場でその限界に直面しています。粘菌から人間まで、一本の線で"つなぐ力"を追い続けてきた三宅氏の視点は、日々の仕事や人間関係を見直すヒントになるかもしれません。まずは、目の前の誰かの未来が育つのを、少しだけ"待つ"ことから。共創は、その小さな"間"から始まるのでしょう。
本メディアでは今後も、研究者・指導者へのインタビューやケーススタディを通じて考察し、個人・組織・社会における新たな価値創出のあり方として発信していきます。
