引退後のアスリートは、競技生活で培った経験を持ちながらも、社会人としての基礎スキルや生活環境の変化に直面します。PCスキル、通勤、金銭管理、自己理解など、競技生活の中では見えにくかった課題が、引退後に一気に表面化することもあります。
ここでは、渡邉千真さんの引退後の語りをもとに、アスリートがセカンドキャリアで直面しやすいギャップと、そこに必要な学び直しの仕組みを整理します。
1986年8月10日生まれ、長崎県出身。名門・国見高校から早稲田大学へ進学。大学時代には関東大学サッカーリーグで2年連続得点王に輝く。2009年、横浜F・マリノスに加入し、プロ1年目にして13ゴールを挙げJリーグ新人王を獲得。2010年には日本代表にも選出された。その後、FC東京、ヴィッセル神戸、ガンバ大阪、横浜FC、松本山雅FCと渡り歩き、Jリーグ通算400試合以上に出場、通算100ゴール以上を記録。高い得点能力と献身的なプレーで、長きにわたりJリーグの第一線で活躍した。
引退直後の心境と、環境の変化を「受け入れる」力
―引退から約2ヶ月が経ちました。今、率直にどんな心境ですか?
もう2ヶ月ですか、早いですね。正直なところ、今までプロサッカー選手としてスタジアムという「日の当たる場所」にいたのが、引退した瞬間に一気に「日陰」に入ったような......そんな感覚はあります。
現役時代は、週末の試合に向けて調整して、スタジアムに行けば多くのサポーターがいて、歓声を浴びて。まさに「日向」にいました。それが終わった途端、急に静かになるというか。もちろん、引退してすぐにやりたいことが決まっている人は、スムーズに次のステップへ進んでいけます。でも、そうでない選手は、一気に社会に放り出されたような感覚になって、結構苦労しているのも見てきました。
僕の場合は本当にありがたいことに、こうして取材の依頼をいただいたり、テレビ番組に呼んでいただいたりして、現役時代の繋がりやご縁に助けられています。
「ああ、こういうご縁って、本当に次に繋がっていくんだな」と実感しています。だから今は、いただいたお話には積極的に応えていこうと思っています。今はできることを精一杯やりながら、次の道を探っているところです。
―お話をお伺いしていると、「受け入れ力」が高いように思えるのですが、ご自身の強みとしての認識はありますか?
強みというか、僕、昔のあだ名が「牛」だったんですよ(笑)。友達や先輩から、「お前、牛みたいにノロノロしてマイペースだな」って言われていて。確かに昔からガツガツした感じではなくて、どこか落ち着いているというか、マイペースな性格でした。
あと、母からよく言われたのが、「あんたは3兄弟の中で一番、ご飯を好き嫌いなく食べてた」ってことなんです。弟は結構好き嫌いがあったんですけど、僕は出されたものは文句を言わず、全部食べる。今思うと、その「好き嫌いのなさ」は、食事だけじゃなくて性格にも出ているのかもしれません。
プロの世界では移籍も多いですし、いろんな監督や選手と出会います。中には「この人とは合わないな」と直感で思うこともありますけど、僕はそこで壁を作ったり拒絶したりはしないんです。まずは受け入れて、話してみる。そうすると「意外といい人だな」とか「話しやすいな」って発見がある。そうやって新しい環境や人を受け入れて、自分の成長に繋げていく姿勢は、自然と身についていたのかもしれません。
ただ、唯一「嫌い」だったのがテレビゲームですね(笑)。みんなでワイワイやるのはいいんですけど、やっぱり上手いやつには勝てないじゃないですか。負けると悔しくてイライラしちゃうから、極力やりたくなかった。
その代わり、サッカーはずっとやっていました。中学の時も、朝練がないのに早く学校に行ってボールを蹴って、全体練習が終わっても残って壁当てをして。でも、それを「努力した」と思ったことは一度もないんです。ただ楽しくて、もっと上手くなりたくて、無意識にボールを蹴っていた。気づいたらやっていた、という感覚ですね。本当に夢中になれることって、そういうものなんだと思います。
アスリートが直面する「社会とのギャップ」と必要な教育
―実際に社会に出てみて、今のアスリートにはどんなサポートや教育が必要だと感じていますか?
やっぱり「就職支援」のような、次の道をスムーズに見つけるためのサポートはもっと必要だと思います。Jリーグやクラブ側も研修などをやってくれてはいますし感謝もひとしおなのですが、引退した選手が本当に路頭に迷わないためのケアは、まだまだ足りていないんじゃないかと感じますね。
あと、痛感しているのは「お金の教育」です。これはアスリートに限らず、日本全体の課題かもしれませんが、僕らはどうしても学校でお金のことを詳しく習わずに大人になってしまいます。特にプロ選手の場合、若いうちに大きなお金を手にすることがありますよね。でも、その使い道や守り方、税金のこと、資産運用のことなんて誰も教えてくれません。
その結果、知識がないまま怪しい投資話に乗ってしまったり、騙されてしまったり......というトラブルも実際に耳にします。「老後2000万円問題」とかNISAとか、世の中ではいろいろ言われていますが、アスリートこそ、現役時代からしっかりとしたマネーリテラシーを身につけておく必要があると思います。
―スキル面や生活面で、一般社会とのギャップを感じることはありますか?
いや、もうギャップだらけですよ(笑)。正直、僕もこういうオフィスに来て「ここで働けるのかな」って不安になりますもん。PCスキルなんて現役時代は必要なかったですし、使うこと自体、不安です(笑)
それに、「電車移動」ひとつとってもそうです。プロサッカー選手って、基本的には車移動なんですよ。練習場へ行くのも、試合会場へ行くのも車かバス。だから、満員電車に乗って通勤するという、社会人の皆さんにとっては当たり前の日常が、僕らにとってはすごくハードルが高かったりします。
もちろん、挨拶とか礼儀、忍耐力といった体育会系ならではの強みはあります。でも、いざ会社組織に入った時に、パソコンも使えない、社会のルールやマナーも危ういとなると、やっぱり入り口でつまずいてしまう。引退する前に、少しでもそういう「社会人基礎力」に触れて慣れておく機会があれば、その後の苦労もだいぶ減るんじゃないかなと思います。
セカンドキャリアを輝かせるための「行動力」と「仕事観」
―渡邉さんの周りで、引退後も輝いている元選手にはどんな特徴がありますか?
私が思いつくチームメイトは引退後も、クラブのアンバサダーやGMをやったり、自分で会社を立ち上げたりして活躍しています。
彼らに共通しているのは、やっぱり明るくて「コミュニケーション能力」が高いこと。上からも下からも慕われる人柄というか、誰とでもうまくやれる能力があります。それと、「行動力」ですね。自分が「これをやりたい」と思ったら、それを突き詰めてすぐに行動に移せる。ただ待っているだけじゃなくて、自分から動ける人間がやっぱり輝いているなと感じます。
あと、これは有名な選手に限った話じゃなくて、若くして引退した選手の中にもすごいなと思う人がいます。25、26歳くらいでプロを辞めて、「コーヒーが好きだから」ってバリスタの修行を始めた後輩がいるんです。彼は今、将来自分でお店を出したいという目標を持って生き生きと働いています。
他にも同期で言うと、車が好きで引退後は車関係の仕事をして、今は独立して社長をやっています。
―「サッカー以上に好きな仕事が見つからない」と悩む選手も多いと思いますが、どう考えますか?
そうなんですよね。そこが一番難しいところだと思います。僕は幸運なことに、「一番好きなこと(サッカー)」を仕事にできてしまいました。だから引退した後に、サッカーと同じくらいの熱量を持てる仕事を探そうとすると、どうしても比較してしまって「これじゃないな」となってしまう。
でも、世の中のほとんどの人は、最初から「大好きでたまらないこと」を仕事にしているわけじゃないと思うんです。就職活動だって、最初はOB訪問とかで話を聞いて、なんとなく興味を持って入社して......という感じですよね。だから僕らも、「絶対に好きを仕事にしなきゃいけない」と思い詰めすぎなくていいんじゃないかなって。
ご縁があっていただいた仕事なら、まずはやってみる。実際に働いてみて、人と関わっていくうちに、だんだんその仕事が好きになっていく。そういうセカンドキャリアの作り方があってもいい。僕自身も今、いろんなお話をいただきながら、「やってみたら意外と面白いな」という発見を楽しんでいるところです。
未来のビジョンは、アスリートが安心して次の道へ進める「場所」づくり
―ご自身の経験や周囲を見てきた中で、今後どんな仕組みや場所を作っていきたいですか?
引退してから次のキャリアへ進むまでの間に、ワンクッション置ける「学びの場」を作れたらいいなと思いますね。いきなり「さあ就職だ」と言われても、自分に何ができるのか、本当は何が好きなのか、自分一人では分からないことが多いですから。だからまずは、コーチングなどを通じて「自分を知る」ことから始められる場所が必要です。
そこで自己理解を深めたら、次は社会に出るために、PCスキルやビジネスマナー、そしてお金の知識といった「社会人基礎力」のことです。これからは社会で生きていくための力を鍛え直さないといけない。
―教育や研修を受けられて、準備ができた段階で、アスリートの価値を理解してくれる企業とマッチングする。
そんな「自己分析・学び・就職」がセットになったサイクルを作れたら最高ですよね。
そうですね!本当にそう思います。
―言うなれば「アスリート再生工場」のようなイメージで。
ご自身は、そこでどんな役割を担いたいですか?
僕は「オレについてこい!」とガンガン引っ張っていく社長タイプではないんです(笑)。だから、そういう実務は専門のプロにお任せして、僕はみんなが安心して帰ってこられる「場所」を作る役割がいいのかなと。
引退という大きな決断をして、不安を抱えている選手たちが、「ここに来れば大丈夫だ」と思えるような場所。僕自身もまだ引退したてで不安な気持ちはよく分かるので、同じ目線で寄り添ったり、相談に乗ったりすることはできると思います。
選手本人だけじゃなくて、その奥さんや子どもたち、家族みんなが「よかったね」と笑って暮らせる環境を作るのが僕の理想です。これまで支えてくれた人たちへの恩返しも含めて、みんながハッピーになれるような仕組みを、これから形にしていきたいですね。

渡邉さんの語りから見えてくるのは、アスリートのセカンドキャリアにおける不安は、本人の意欲不足だけで生まれるものではないということです。現役時代には必要とされなかったPCスキルや通勤、金銭管理、社会人としての基礎知識が、引退後には急に求められるようになります。
また、競技を仕事にしてきた人ほど、「サッカー以上に好きな仕事が見つからない」という壁にも直面しやすくなります。だからこそ、最初から強い適職感を求めるのではなく、まず関わってみる中で仕事への意味や興味を育てていく視点も必要になります。
本事例は、アスリートのキャリア移行を、就職先の紹介だけで解決するのではなく、自己理解、社会人基礎力、マネーリテラシー、企業との接点づくりを含めた移行支援として捉える必要性を示しています。引退後の選手が安心して次の一歩を試せる中間地点をどう設計するかが、今後のセカンドキャリア支援における重要な論点になるでしょう。
本メディアでは今後も、研究者・指導者へのインタビューやケーススタディを通じて考察し、個人・組織・社会における新たな価値創出のあり方として発信していきます。
