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スピードスケート元日本代表選手の
キャリア転換ケーススタディ

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キャリア転換ケーススタディ

ここでは、ショートトラックスピードスケート日本代表として国際大会を経験したSさんのキャリア転換事例をもとに、目標設定力、自己管理能力、プレッシャーへの向き合い方が、企業での職務適応にどのように接続されるのかを整理します。
Sさんは、競技引退後にアスリート支援に関わる仕事を経て、現在は株式会社タミヤホームの総務職として働いています。個人の成功談としてではなく、トップアスリートが競技を離れた後に自分の経験をどう捉え直し、組織の中で新たな役割を形成していくのかを考察します。

プロフィール
スピードスケート元日本代表選手 Sさん

ショートトラックで培った世界基準の視点と、プレッシャーを力に変えるメンタルを武器に、氷上からビジネスの世界へとフィールドを移した。現在は総務部門で社内の土台を支えながら、今後は営業や現場サポートにも挑戦したいと語る。

スピードスケート元日本代表選手 Sさん

勝つために進化する
世界基準で決断した「1000m強化」への挑戦


―競技での主な実績を教えてください

実績としましてはオリンピックに2回(バンクーバー、ソチ)出場しています。バンクーバーはまだ大学生の年でした。また、2011-2012年シーズンでは、 ワールドカップの年間総合優勝(女子1000m)を日本人として初めて果たしました

私は500mぐらいしか滑れない選手でした。しかし、500mだけではちょっと世界と戦っていけないなっていう風に思いまして、 次の4年間で1000mというところを強化していきました。ショートトラックは、全ての種目を滑れないといけないというのがあります。 1000mは短距離も長距離も滑れなきゃいけない要素がミックスされた種目なので、「ここが強かったらどっちも滑れるよね」という判断で強化しました。

ちょうどその時は、連盟の全日本の方針も1000mを強化して日本人のレベルを上げていこうという方針に変わっていったので、 それとうまく歯車がかみあったという部分がありました。シーズンインするぐらいの時に連盟が「今年はこういう方針で行くよ」というのを出すんです。

プレッシャーを希望に変えた言葉
「この人のため」に戦うという使命感


―今までで一番苦しかった時はどんな時ですか?

一番苦しかったのは、ソチオリンピックの枠取り戦です。その世界大会で、私は500mで失格してしまったんですよね。最も失格してはいけない場面で、妨害により失格となり、日本が取れるはずだった枠が減ってしまったんです。
しかも、自分はトップで走っていたので、もう「日本に帰れないわ、これ」と(笑)。帰国後には枠が減った状態で最終選考に臨まなければならず、自分自身にも大きなプレッシャーがかかりました。


―その時は、どのように乗り越えられたのですか?

姉に泣きながら電話したんです。そしたら姉に、「もうどうしようもないじゃん。そこに行って戦ってるんだから、やるだけのことやってきな。そこに出られない人だっていたんだから」と言われました。姉もずっと競技をしていて怪我で引退した経験があるので、「私は出られなかったんだから」と。
だから、そのとき私は「大きいところ(日本全体)を見ないで、この人(姉)のためだけに頑張ろう」というところに切り替えて戦ったんです

練習嫌いを凌駕した「負けず嫌い」
世界と自分を比較するマインドセット


―かなり練習する方の選手だったのですか?

いえ、練習は嫌いなんです(笑)。でも、試合に負けるのが嫌い、という負けず嫌いだけで来ているところはあります。小さい頃は親や姉が熱心だったので続けていましたが、大人になってからは、「自分ができることは、世界のライバルたちはもっとやってるんだろうな」と感じるようになりました。
だって私より速いし。だから「私、こんなとこで負けてていいのかな」という考えに変わって、「これぐらい笑って乗り越えられなかったらダメじゃん」と自分に言い聞かせました。


―逆に、最も嬉しかった瞬間はどんな時ですか?

2011-2012年シーズンの総合優勝したシーズンで、日本開催(名古屋)のワールドカップで1位を取れた瞬間ですね。海外の大会だと何喋ってるか分からないんですけど、日本だと知ってる人が会場にいっぱいいるわけです。プレッシャーがすごくて、もう「死んじゃいたい」ぐらい緊張しましたが、両親の目の前で1位を取る姿を見せることができたのは、一番幸せだったなと思います。

セカンドキャリアの第一歩
アスリート支援を通して見つけた「自分の価値」


―その後、引退され、会社員人生へ。
当時はアスリートのキャリア支援などもされていたようですが、そこから第二の人生が始まったのでしょうか?

元々、次の平昌オリンピックまで目指しては行ったんですけど、出られませんでした。だいぶ長いこと競技生活やっていたので、30歳ぐらいになって初めて「社会人になります」ってなった時に、「何ができるんだろう」と思いました
そこで、今までの経験も活かせるというところでキャリア支援、特にそのパラ競技とかデフの方々のサポートをするお仕事をしていました。

元オリンピック選手という肩書きではなく
「自分」で勝負できる場所


―今のタミヤホームに入社されたきっかけを教えてください。

きっかけは、アスリートが活躍しているというところがまず1つ大きかったです。他の会社では「元オリンピック選手だよね」という目線が必ずついてきて、それがイコール仕事のスキルじゃないのに、その目線で話が進んでしまうことに劣等感に近いものを感じていました。
タミヤホームには、私よりもっと上のオリンピック選手も、現役で挑戦している方もいらっしゃるので、フラットに人として見てもらえると思ったのが一番の決め手でした。


―社長面接だったんですよね?その時に感じた印象は?

今も変わっていなくて、すごく優しい方だという印象です。ただ、最初の面接の時はすごい緊張しました。言葉の奥に含んでいるものまで感じ取られているんじゃないかと思って(笑)
でも、それはちゃんと私のことを見てくれながらお話を進めてくださっていた証。おかしいかもしれませんが、「この会社に呼ばれている気がする」と感じ、ここにお世話になろうと決めました

次の人生への設計図
現役中にキャリアを逆算する重要性


―今後タミヤホームで、どんな自分になっていきたいですか?

いろんなことに挑戦していきたいです。今は総務としてお仕事を覚えているところですが、ゆくゆくは営業のサポートに入ったり、本当に営業がやりたいと思うなら営業職にも挑戦したいと思っています。
まずは、自分の培ってきたスキルを生かしきれるようなお仕事と貢献をスタートとして、そこからいろんなことに挑戦できたらと思います。また、人から必要とされる、感謝されるところに喜びを感じるので、人との関わりも大事にしていきたいです。


―今、現役の方で引退後にその、社会人になってというキャリアを今考えられている現役アスリートの方にメッセージがあればお願いしたいです。

競技だけが人生じゃないよ、ということをすごく感じます。アスリートは必ず終わりが来るし、その先の人生の方が長い。その時に、競技中に培った経験を生かして何ができるんだろうか、自分は何がしたいんだろうか、というのを一度考えてみる機会を設けてもらいたいです。
アスリートは逆算するのがすごくたけているので、やめた後に何をしたいのか考えながら行動ができるはずです。悔いのないよう、競技も全力でやり尽くして欲しいです。

組織内での役割形成|総務職として会社の土台を支える


―タミヤホームをどのような会社にしていきたいですか?

良い意味で私は会社の「歯車」になりたいです。少しでも私の力が役に立っているという実感がまず持てることが第一です。そして、もっと多くの方にタミヤホームを知ってもらいたいと思っています。「解体と言ったらタミヤホーム、アスリートを積極的に支援している会社と言ったらタミヤホームだよね」、と。
どんな切り口でもいいので、もっと広く活動を知ってもらえるような会社になってほしいですし、それに貢献できるなら嬉しいです。

本事例の考察

本事例で重要なのは、オリンピック出場やワールドカップ総合優勝という実績そのものではなく、その過程で培われた判断の仕方にあります。種目特性を見極めて1000mを強化したこと、枠取り戦の失敗を受け止めて次の選考に向かったこと、引退後に「自分自身」として評価される環境を選んだことは、いずれも状況を捉え直し、次の行動を選び取る力として整理できます。
アスリートのセカンドキャリアを考えるうえでは、競技実績だけでなく、競技生活の中でどのような判断軸が形成されてきたのかに目を向けることが重要です。

本メディアでは今後も、研究者・指導者へのインタビューやケーススタディを通じて考察し、個人・組織・社会における新たな価値創出のあり方として発信していきます。